オオゼキspirit

オオゼキSpiritは、創業者 佐藤達雄の「商いが好きで」、この言葉から始まります。

オオゼキの創業者、佐藤達雄は、東急世田谷線の松原駅のそばにある小さな市場の中に、乾物店を開店しました。思い通りには客足が伸びずに苦しんだこの時代に現在のオオゼキSpiritの源流があります。一日の売上が、当時で6,000円か7,000円。
それこそ食べるものにも事欠く毎日の中で、達雄たちが考え抜いて出した結論が、余計な儲けは少なくして、お客様に喜んでもらおうということでした。

お客様に誠心誠意尽くそうと思った。一人でも多くのお客様に来てもらいたい。
そのためにお客様が喜ぶ、あらゆるサービスを考えた。お客様が望むことなら、何でも聞いちゃう。
それがオオゼキの一番大切な心だよ。オオゼキの心って、そこから生まれた。」

新鮮でお値打ち商品を素早く見抜いて仕入れる商売の神様と呼ばれた佐藤達雄の技と、いつも笑顔で、お客様の名前をすぐに覚える接客に天賦の才能を持つ正恵夫人の二人でお客様に注ぎ続けてきた深い愛情が、オオゼキの原点であり基礎となっています。

佐藤達雄が残した商売に対する熱い心。それは、本当にお客様が喜ぶサービスを提供する『喜客』の精神。
『お客様第一主義』の徹底。『顧客感動』。これは時代を超えて引き継いでいくべきものです。

その上で、自分にしかできないことを作り上げていく。そんなチャレンジ精神こそ大切だと私たちに教えてくれました。
これが、私たちオオゼキが従業員一丸となって、未来に渡ってお客様にお届けしていく大切な「商いの心」なのです。

ここから生まれた経営理念

お客様第一主義(喜客)

オオゼキでは、従業員がどんどんお客様に声を掛けていきます。商品を探している方を見かけたら、たとえ自分の売場ではなくともその商品がある所までご案内。特売品であっても閉店まで品切れさせることのないようしっかりと仕入れる。レジが混み始めたら、レジ担当でなくてもすぐにお客さまの精算後袋詰めを手伝いに飛んでいきます。

青果・鮮魚は毎日市場に仕入に出向いているので、売場にない商品でも市場にあるならご要望の商品を翌日にご用意します。また旬で安くおいしい商品をシーズンに先駆けて販売したり、お問い合わせがあるお客様には産地による味の違いや料理方法、食べ頃の説明をしっかり行い美味しく召しあがっていただくことを社員一同心掛けています。
また精肉ではインストア(店内加工)の良さを活かし、例えばひき肉を100g以下の少量パックにしたり、逆に業務店様のご注文で1kg単位のパックを注文を受けてすぐに作ったり、ご希望サイズのブロック肉加工や用途に応じてのスライス加工など、お客様の様々なご要望に即対応しています。鮮魚は調理のサービス、青果は野菜や果物の小分けも喜んで承ります。

このように、来店してくださったお客様をガッカリさせず、また明日もワクワク期待しながら来ていただけるよう、『喜客』の精神でサービスをお届けしていきます。

地域密着主義・個店主義

松原店では飲食店経営のお客様が多く生魚の鮮度の良さはもちろんのこと、産地やサイズの指定があるため市場へ買い付けに行くチーフに電話やメールで注文が入ったりします。売場で販売している商品も、お客様のご要望に合わせ、普通小売店では扱わない1尾50gもある海老を品揃えで置いたり、丸魚はご希望があれば半身でも1/4身でも小分けして販売しております。

また、このしょう油でなきゃだめというお客様のご要望から、香川県小豆島の1升ビンのしょう油や、大分県のうまくちしょう油を品揃えとして取り扱っております。

大森駅前店では通常の店舗ではらっきょが出回るシーズンにしか品揃えしないらっきょ酢を、野菜を一年中らっきょ酢で漬けるというお客様のご要望から定番品として売場に置いております。

また1日の平均客数が6,000人を超える下北沢店では、一般のお客様から業務店様の多様なニーズにお応えするため、例えばトマトは約40種類、お酢はポン酢も含め約120種類(いずれもSKU)と、近隣の同業スーパーと比較し2倍以上の品揃えをしているアイテムもあります。
前記は一例ではありますが、そういった商品の数々がオオゼキのスタンダード商品として店内のそこかしこに。

店舗運営に関する多くのことを各店舗の担当者に任せることによって、お客様とのつながりも強くなりお客様が要望する商品はたとえ一品からでもあらゆる方法でご提供していく努力を惜しみません。システムとかマニュアルではなく、店舗ごとに地域(顧客)に密着することを是とし、シンプルな価値観と現場力重視の組織風土の中だからこそ、お客様第一主義を自由に実践していけるのです。

“オオゼキ”名の由来
オオゼキの創業者、佐藤達雄は新宿の小さな乾物屋の長男として誕生しました。その乾物屋は祖父が経営していた「大関屋」の数ある支店のひとつでしたが、大関屋は東京大空襲でほとんどの店舗を失いました。昭和32年2月、佐藤達雄は寝食を共にして商人の心得を教わった祖父の店を復興させるべく現在の「オオゼキ」の礎(店舗)を創りました。

他社に負けない「3つの特徴」

業界の常識を覆す「オオゼキの秘密(ビジネスモデル)」